吉野 なら子さん
奈良コミナスをやってみたい!
なら子さんの“種”
奈良県吉野町出身の 吉野 なら子さん。
大学から大阪で暮らし、総合病院で看護師としてキャリアを築いてきました。
しかし、なら子さんの心の奥底にはある想いがあったのです。
「いつかは祖父母が暮らす吉野町に恩返しがしたい」
自分にできることがないかと模索しているとき、“奈良コミナス”の存在を知りました。
「わたしもやってみたい!」
なら子さんの中に“奈良コミナスの種”が生まれた瞬間です。しかし「何から始めたらいいのかな」「大阪の病院を辞めて移住するほどの勇気も今は無いなぁ」と悩んでいました。
「好き」と「得意」で出てきた“芽”
そんなとき、奥大和コミュニティナース養成講座を知り、受講を決めたなら子さん。講座では、「好き」や「得意」を活かして活動する奈良コミナスの事例を聞いたり、実際に地域に出てフィールドワークをしたりしました。
「移住しなくても少しずつ関わってみよう」
「私の趣味のカメラで住民さんとコミュニケーションをとってみよう」
講座終了後、なら子さんは自分の「好き」や「得意」を掛け合わせ、小さなアイディアを実行してみることにしました。祖父母が暮らす吉野町のお祭りに参加し、住民さんの写真を撮りながらコミュニケーションをはかることにしたのです。「吉野さんのとこのお孫さんか〜!」と話しかけてもらいながら、少しずつ心の距離が近くなって行くのを感じました。
実践と葛藤を経て
強くしなやかに成長する“芽”
しかし、何度か吉野町に足を運んでいるうちに「本当に住民さんの元気につながるのかな」「未熟なわたしが“奈良コミナス”と名乗っていいかな」と悩み始めるなら子さん。自分の思い描く地域活動までは到底及ばず、自信をなくしてしまいました。
そんなとき、奈良コミナスの仲間からある言葉をもらいました。「“やってみたい”と実践を繰り返すなら子さんは、もう十分“奈良コミナス”だよ」と。
仲間の言葉にハッと気がついたなら子さん。
「私の中にはずっと『吉野町に恩返しがしたい』という“奈良コミナスの心”があったんだ。それを少しずつ実践していけばいいんだ」
なら子さんの弱々しかった小さな芽が、強くしなやかな茎へと成長して行くのでした。
なら子さんらしい実践の“実”
自分の心の中に“奈良コミナス”を感じながら踏み出していくなら子さん。「自分に何ができるか」と考えながら地道に住民さんと関わり、信頼関係を築いていきました。
そうしているうちに、心を開いてくれた住民さんから、地域の集まりの撮影をお願いされたり、健康講座の講師を頼まれたりするようになったのです。
また、笹笛を作るのが得意な高齢男性と笹笛を作ってみたい子供たちをつなぎ、「笹笛づくりの会」を開きました。教える側も、教わる側も、それを見守る人たちも、たくさんの笑顔が生まれました。
いつの間にか、なら子さんのカメラには住民さんの笑顔の写真がいっぱいになっていったのです。
なら子さんが「好き」や「得意」を活かして吉野町と関わって行くうちに、小さな種がまちに根付き、大きな木へ。そしてなら子さんらしい実が実ったのでした。
1人の奈良コミナスから広がる
新たな“種”
なら子さんが自分らしい“実”を実らせ実践して行くうちに、地域の住民さんから
「僕も、こんな得意なことがあんねんけど」
「ウチも、何か地域に役に立ちたい」
「ワシのやってきたことは、まさに“奈良コミナス”やんか」
などの声を聞くようになりました。
奈良コミナス仲間に助けられながら、悩みを乗り越え実践を続けるなら子さん。
なら子さんの実践は、新たな“コミナスの種”を生み出し、循環していくのです。