天川村へ移住した当初、奈良県庁(当時)の福野さんが奥大和地域の首長たちへコミュニティナースの導入を持ちかけたところ、天川村の村長が“うちにはすでにそんな人材がいるから参加する”という流れで話が始まった。もともと、院内の医療に息苦しさを感じ、自分のビジョンを描いて医療や介護にとらわれない形で地域に飛び出したこともあり、コミュニティナースの活動と合致する部分が多いと思い、直感で第3期コミュニティナース養成講座の参加を決めたのが奈良コミナスになったきっかけ。
・地域支援事業の一体的な推進(総合事業や包括事業等)
・行政の計画策定支援(介護保険事業計画、障害計画、子ども・子育て支援計画等)
・学びの提供(大学生、留学生、看護学生への講義や天川村でのFW)
・地場産業と連携した新たなツーリズムの開発
・メダカを通じたユニークな取り組み
・患者から一人の人として捉え直した瞬間
精神疾患を抱え、これまで奇声をあげる姿しか見たことのなかった患者さんが痛みを訴えて在宅で処置をした時、内心いつ暴れるか分からない状況にドキドキしていました。終わって床でメモをしていると突然顔の前に手がとんできたので、思わず仰け反り患者さんの顔を見ると、満面の笑顔でピースサインをしていました。あまりのギャップに驚いていると何度もピースを繰り返してくれました。せっかく地域に出たのに、病院と同じ捉え方をしていたんだとフィルターが変わった瞬間でした。
・カーテンを開けた瞬間
移住初年度に日本一高い介護保険料の計画策定業務に携わっていたが、当時は村外からサポートしてくれるメンバーが存在していたこともあり、担当課である健康福祉課や地域に詳しい保健師さんへ協力を仰ぐことはなく、むしろ計画を作っているのだから情報を共有してもらってあたりまえといった感覚を持っていた。計画は完成したものの何か物足りなさを感じていたが、ある時、保健師さんに相談したことをきっかけに、知らなかった情報をたくさん教えてもらった瞬間、困った時は助けを求める素直さも必要だと認識した。
変えたいと思っているうちは変わらなくて、自分は弱いと認知し内面をさらけ出すことでガラリと周囲が変わった体験。
・地域への愛着形成
地域で活動をしていると、看護師として診療所や高齢者施設で関わることもあれば、生活者として同じ地区や子育て世代と関わることがある。このように、さまざまな側面から住民と関わりを持つと、普段、直接関わりを持つことのない住民から「最近がんばってるね」なんて声をかけてもらうことがあり、直接よりも、この間接的な伝わり方がたまらなく嬉しい。
・新たな地域のつながりのあり方
天川村では助け合いの意識が十分に残されている一方で、「怪我や病気は恥ずかしい」といったことや、人間関係が濃いが故に「周囲に弱った姿を見せること」「助けるべき存在と位置付けること」に対する抵抗感が存在していた。そこで、趣味で育てているメダカを地域に分けていくことで、新たな血縁関係が立ち上がり、多世代とのコミュニケーションやリハビリのきっかけを生み出す取り組みにつながった。